春夜、雨を喜ぶ

ただの独り言と日記

日記2023/8/29

・8月も終わりを迎えようとしている。久しぶりの更新だけども、6月、7月、8月は色々あった。

・6月10日に、15年可愛がっていた愛犬が虹の橋を渡った。老衰で、大往生だ。感覚的にはあと5年くらいは一緒にいれるような夢を見ていた。けれどやっぱり犬の寿命は10〜15年。犬は最後までめちゃくちゃ元気だった(ように振る舞っていただけかもしれないが)。最後の日は2回も散歩に行き、夕方私がミルクを注いでるそばからチロチロ舐めて「ちょっと!今注いでるから待ってよ〜」とたしなめたくらいだった。5月23日に医者からあと1週間と言われたが、2週間頑張った。余命宣告されていることを、私は知らなかった。5月の末に帰省して、また下宿に帰る時に「またね」と声をかけたらいつもよりやたらじっと見つめてくるから、後ろ髪を引かれるような心持ちで帰路についた。犬も自分の体の限界が近いことを予感していたのかもしれない。帰り際、あんなにじっと見つめられたのは今まであまりなかった。

「またね」という言葉をちゃんと守ってくれたのか、6月8日木曜の夜に帰ったとき軒下から元気に顔を覗かせた。金曜は仕事で一日中家にいた。昼休みに母が散歩しているところに混ざり、一緒に歩いた。「あれ?お姉ちゃんの前ではカッコつけて元気だ!」と母が言っていた。私は涙が溢れそうになるのを必死で誤魔化した。昔お気に入りだった散歩コースの近くに来ると、抵抗して動かなくなった。あっち行く!と主張していた。老体なのにどこからこんな力が?と驚いたが、よっぽど行きたかったのかもしれない。時間もなかったし、犬の体力的にも難しそうだったので、なだめながらちょっと大回りで別の道を行って帰ってきた。夕方、また犬の様子を見に行くと、散歩に行きたい様子だったので父親とまた散歩に行った。最初は元気だったが、家に戻る途中少し弱々しい足取りになっていった。散歩から戻ると、母にご飯をあげてと言われたので、ミルクと犬が大好きなレバーのおやつをあげた。ムシャムシャ食べていた。元気じゃーんと話しかけていたら、様子がおかしくなり、鉢や柵にぶつかったりした。親を呼んで軒下に犬を寝かせてあげて、そのままだんだんゆっくりと、虹の橋を渡って行った。夜 10時半頃、「おやすみ」と声をかけたのが最後になった。

 

今でも信じられない。15年当たり前のように家族だった。ただ、いつかはお別れがくると分かっていたので、私は犬が5歳を過ぎた頃から常に心配していた。私の心配をよそに、犬は大病を患うことなく最後まで元気だった。ありがとう。私と、私の家族はずっと仕合わせだった。友達のお母さんが、「最後まで弱ったところを見せなかったんだね、武士だね」と言ったのが面白くて忘れられない。うちの犬は武士だったのか。

思い出はたくさんある。私の膝の上にしか乗らないのが密かに自慢だった。子犬の時に私の膝の上でおもちゃを噛み、10歳過ぎても乗りたがった。

こんなに長生きしてくれたのは、親がとても丁寧に大事に世話をしていたことが大きい。夏はミストを撒き、冬は毛布をたくさん入れていた。ワクチンもしっかり売って、病院にも定期的に連れて行った(犬は大の病院嫌いだったが…)。あとは犬が定期的に自分からセージの葉をむしって食べていたのも長生きの秘訣だったのかもしれない。

セージの花言葉は「尊敬、知恵、家族愛、幸福な家庭」。まさに犬を含めた家族を表しているような花言葉なので、こじつけかもしれないが、犬が好きだったセージを特別に思うことで私の中の悲しみが少し軽くなるような心持ちがする。火葬の際にもセージの花を入れた。大好きだったおもちゃやタオル、妹からの手紙、私の名前入りのハンカチ…花がたくさん咲いている天国で、それらと一緒に元気に走り回っているといい。

 

・8月は父方の祖母を亡くした。ここ数年は闘病生活で、しばらく顔を見ずに葬儀になってしまった。たくさんの花を詰めて見送った。天国で祖父と再会できただろうか。

こうして立て続けに家族を見送り、人生や死について考える機会が増えた。自分が死ぬ時、もっと近い家族が死ぬ時、友達が死ぬ時。必ずその時はやってくる。死だけは誰にでも平等に訪れる。

犬の武士っぷりを見て、親しい人を見送るのは死ぬほど悲しいけど、私も老衰で旅立とうと思った。そのためには毎日健康を心がけなければならない。早寝早起きうさぎご飯を心に誓った。

・犬が来たばっかりの時の写真(ちっちゃい!)

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